ふれあいの友コラム

介護職の育成とお互いの支え合う「きずな」を強め活力を呼び起こす

(6)人「介護員」が減ると何が起こるか

現在病院内で平然と人権抑圧がまかり通っているのを目のあたりにする。それはベットに拘束(両手足をベットにくくりつける)されている人々だ。人手が足りない,転倒する等と身勝手な論理でまかりとおる。看護士が足りない,補助看が不足していると大声で何の悪びれることもなく行動する。同じ保険という名目でありながら、医療保険は拘束しても平気な態度を取る。いったいこの論理は何処からくるのか。

介護保険であっても施設では拘束を許可しているところもある。これも人手不足から来る仕業である。

今日でさえ人手不足だから人権抑圧を許されるとなると今後2年〜3年後及びそれ以降は確実に介護職に人手不足が来る。さすればたとえ介護保険の理念に尊厳を唱えようとも人が足りないのだから現在の医療と同じ行為をする。

人手不足から求職者側に発言力が増してくる。求人側が強い態度にでれば休職者はどんどん退職する。それが怖くて強く指導できなくなる。当然ながら求職者の行動を抑制する言葉は少なくなる。

被害を受けるのは高齢者である。増大する高齢者を現在のように大切に優しくいたわる姿は減っていく。理由は今の医療現場を見ればいかに患者が抑圧されているかわかる。

他にもある。第一印象は「人は形あるものにしか価値を見出さない」といわれている人間の錯覚を利用した見かけの建物に圧倒される。 しかし介護の内容は建築物の豪華さから想像は出来ない。介護の内容と建築物の豪華さとは全く性格を異にする。建物の豪華さに魅力を感じて得するのは健康で自立した人々である。二日、三日の旅行で宿泊のためなら豪華さが最優先され満喫する。そこに何日も何十年も滞在するとすれば、「飽き」がくる。最後まで「飽きず」、「不満」が増幅されないものは何か。それは人が与えてくださる印象だろう。つまり「親切だ」、「丁寧だ」、「気持ちがよい」、「安心できる」、「あったかい」 「思いやりがある」等の言葉で表現できるようになったときだ。これ等の言葉を誘引するものは建築物が引き起こす技ではない。人が引き起こすのだ。

しかし介護員が一つの職場に留まって生涯仕事する人は少ない。いずれ数箇所の職場を渡り歩くものだ。従って良い人的資源は常にあぶくの如く消えては出、出ては消える現象を繰り返す。 人的資源に期待したとしても資源不足に起因して期待値との間に大きな隔たりが出来て実現不可能だ。 つまり建物が良いからとかお金をかけたら大切に扱っていただけるだろうと言う受け止め方は実現しない。

もう一つ医療と介護の資格の問題がある。福祉系の資格である介護福祉士、社会福祉士等と医療系の資格医師、看護士等いずれも国家資格である。にもかかわらず福祉系は名称独占、一方医療系は職務独占というように職域に対する支配力が全く異なっている。給料も福祉系は安く医療系は高い。福祉系はきつい、臭い、汚い。しかし医療と福祉が連携しなければ問題等の解決が出来ないこんな状況であれば、まるでバ−ゲン商品とブランド商品を同じ売り場でごっちゃ混ぜにして売ってると同様である。福祉系は名称独占であるから単に自己満足の資格である。何故ならその資格を身につけていても食べてはいけない。身につけていなくともしごとはできる。給料も高くなるわけでもない。こんな職業に就職する人は少ない。当然人手が不足することは目に見えている。

H24.11.15

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