ふれあいの友コラム

私は何なの

(1)役割を奪われていくこと

長い間現役で、子育て、勉強、衣、食、住、出世、自己顕示、貯蓄、娯楽等の重石を背負い、年令を重ねてまいりました。

現役で社会の一員として、存在感と役割を担い、周囲の人々との交流もあり多くのかたがたやチ−ムでの存在をまともに感じ取れる環境にいることがわかる。しかし年齢を重ね高齢になるにつれ現役の人でさえ、この環境から役割分担が少しずつ消えていく。つまり月日が過ぎるうちに他から信頼され、役割分担する部分が無くなっていく。

あなたがいなければ困る、組織が回らない、と言った重要性が失われてくる。となると社会の中で、家庭の中で大切な役割は期待されなくなる。周囲からは、すべての生活のほとんどが期待されなくとも良い存在になってしまう。生命を維持しつつも、他からは影響を受けたり、影響を与えたりしなくとも良い存在になってしまう。単に生命だけある一人の人間である。個の人間一人は何をするかわからない。家庭の生活を+支える経済的なかたまりかもしれない。

その時、[私は何なの]私は家庭の中で、社会の中で[何ですか]と強く考えられる人こそ、年令を重ね、周りから役割を一つ一つもぎ取られ「人間の命だけ備わった個体になってしまう。」これが高齢者の姿かもしれない。

H26.6.13

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