ふれあいの友コラム

静止体は形のあるもの、動体は形のないもの

(10)介護保険による介護給付は、建物の質には無関係で、介護度で決まる

介護保険を使うからには、建物の質ではなく、介護度でサ−ビスの豊富さが決まる。 家庭教師は、各人の成績向上を目指して進捗状況に応じて、緻密に指導する。 これを介護に置きかえてみれば、日常生活で不安でならない人、自立できない人、自己本位の生活に慣れている人、短期の人、気の長い人、自分の思いどうりにならなければ叱り飛ばす人等通常より手間、暇がかかる。 このような人に満足して頂くには、介護する側には、まどろっこしい、いらいらする気持ちが積もったとしても定められた時間にしか介助にあたれない。 お金の無い人は、施設でサ−ビスを独占せず共用利用でがまんして、不満足であっても我慢するほか無い。施設の共同利用はサ−ビスの平均的レベルに主眼をおき極端に手間隙のかかる人に特別手当は出来ない。

では充分にお金をお持ちの方で介護の手当てが必要な方は、家庭教師を呼び利用を独占すればよい。家庭教師は一人付きの介護員である。皆さんも経験あるように多人数の教室で授業をうければ自分が理解できないからと言って個別には救ってもらえない。やむを得ず付いていくには、知人なり、先輩なりまたは家庭教師をつけみなに追いついていく。 教室、学校は施設と考えればよい。サ−ビスはすべて共用して利用している。各人が独占はできない。これと全く同じことが施設である。

このことを承知しておかなければ、あなたが考えている理想像など全く実現できないことを忠告する。 介護福祉施設の介護サ-ビス利用は、完全独占ではない。例えば人員配置が2:1ならあなたの受けるサ−ビスも半分になる。つまり生理現象も希望もすぐには実現できない。 今すぐトイレに行きたいと言っても側には人が居ない。さすればコ−ルを押して人を呼ぶ。しかし時間によっては人が来ない。 他の利用者の為に手をとられていれば、「ちょっと待って」と言う決まり言葉で生理現象さえ我慢させられる。手が足りなければ何をするか。 おむつを使って人手不足の代わりをする。介護の満足のいく豊富さは人手で決まる。

これはどんな高額で入所しようが低額の施設であろうが、介護サ−ビスは変わることは無い日常生活である。それは人員配置が1:1で無いからである。夜間は10:1ほどに減ってしまう。夜間手間のかかる人には安定剤なるものが調合され人手不足ないし介護員の手間、精神的疲れ等カバ−する。 施設は人出不足である。特に夜間は20:1、30:1など普通である。 高齢者は体の調子は良くとも一人で居ると言う不安、自分は施設に居て家族とはなれている不安、自分は死ぬために此処に居るのではないかという不安、具合が悪くなったらすぐに来てくれるかという不安、自分を誰が守ってくださるかという不安これ等が頭をめぐらして、特に寝静まってあたりが静かになるにつれ不安が増してくる。 このとき家庭教師が常に側に居たらこれ等の不安はすべて吹っ飛んでしまい安定した毎日を過ごせる。

施設はただで入居しようが高額で入居しようが介護を受けるサ−ビスは常に2:1とか3:1で我慢をを強いられえる。1:1で無ければ満足のいく介護は受けられない。

介護は育児の極意だ。一人誕生毎に育てる。双子を育てる。三つ子を育てる。障害児一人、二人育てる。育児に介護労働の過酷さを実現できる。 一人育児は完全に行きわたる満足のいく介護だ。二人、三人、障害児となるにつれて一人当たりの手当ては満足のいくものではなくんることはわかりきっている。育児についてはほとんどの主婦は体験してきた。しかも専業としているのは女性だ。男性は少ない。

H24.03.14

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