ふれあいの友コラム

私は何なの

(3)高齢者における社会参加の難しさ

生活環境の衣食住貯蓄を確保されそれ以外は周りから消え去っていく。感謝されたり、ねぎらいの言葉、お褒めの言葉もなく反発力のエネルギ−が消え裸になる過程で他から重んじられたり、役割を与えられたりすることなく浮き立った状態を続けていく。

この中で「自分は何なの」と大きな失望、に反発したり、これを取り除いたり,はねのける力は残っていない。然しこれらの人にエネルギ−になるものは何か。それぞれ違ってくるかもしれない。

@ボランティアに力を注ぐ方のことで社会に貢献する役割を担っている。その反動にて、労いの言葉が返ってくる。
A妻が夫に対してあなたのおかげで今このように生活できるのよ。なにかしらの役割を担っている意識。これこそが生きる活力の源泉。(役割分担を疎外されている:窓際族)

然し何一つ積極的に自分から発信したり、行動を起こせない人がほとんどである。役割を担ってその人たちに行動を起こすようすすめる、労いや感謝の言葉を言う。役割分担をすべてもぎ取られ生活圏での位置を示せなくなってしまったため動機も気力もない集団の人たちに「さあ、社会参加するから」といって家庭から追い出す。デイサ−ビスへ連れ出す。一方家族はこの集団の居場所を探し、置いてもらうにはとても助かる場所かもしれない。しかし、デイサービスへ参加するよう勧められる立場の人にとって、行動を起こす源になるだろうか。

H26.8.18

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